イベント詳細

2009年11月「イスラエル・スペイン公演」終了報告

2009年11月7日からスタートした「イスラエル・スペイン公演」は、各地で大歓迎を受け、成功裡に終わりました。舞踊団の創立以来、初となったイスラエル公演は、シルビア・ドゥランスペイン舞踊団との華やかな競演の舞台となり、会場は大勢のお客様で埋めつくされました。イスラエル文化庁からは金のメダルも授与され、国境や政治を越えて、人々の心に感動を与えるフラメンコの素晴らしさを改めて実感する公演となりました。

また11月12日~15日まで、スペイン・マドリッドのテアトロ・デ・マドリッドで行なわれた「カルメン-遙かなるアンダルシア」(4回公演)は、公演前から、小松原が、エル・パイス紙やラジオ局等、大手メディアから取材を受けるなど、現地での反響の大きさを物語っていました。在スペイン日本大使館や、テアトロ・デ・マドリッドの後援の下、舞踊団の井上圭子、谷淑江、田村陽子が、トリプル・キャストで、それぞれ魅力的なカルメンを熱演。地元スペインの多くのお客様、そして遠く日本から駆けつけてくれたファンの皆様から、盛大な拍手喝采を頂きました。

また今回のスペイン公演の芸術性、美術、衣裳、照明等が、現地で高く評価され、2010年9月に開催される、スペインのフラメンコ界、最大のフェスティバル「ビエナル・デル・アルテ・フラメンコ」への招聘が決定しました。

イスラエル公演

israel01

israel02

israel03

israel04

israel05

無断転載等、読売新聞社や著作権者の権利を侵害する一切の行為を禁止いたします。

スペイン公演

spain01

spain02

spain03

spain04

無断転載等、読売新聞社や著作権者の権利を侵害する一切の行為を禁止いたします。

「El Pais」 エル・パイス紙講評

2009年11月14日(土)
批評家:Roger Salas(ロヘル・サラス)
小松原庸子 フラメンコ舞踊家、振付家
「日本では控えめでなければいけない」

この日本人芸術家は60年代の終わり頃、マドリッドにフラメンコを習いにやってきた。そして今度は舞踊団創立40周年を記念し「カルメン」を携え、スペインに戻ってきた。

ベガ・イ・ルイスのフラメンコ百科事典は、非常にまじめな書籍であるが、この事典のKの欄の見出しはとてもエキゾチックだ。小松原庸子という日本人の名前が記載されているからだ。日本のみならず、国際的なフラメンコ・アーティストである小松原は、彼女の舞踊団と共に再びマドリッドにやってきて、カルメンを上演する。一般的に知られている「カルメン」ではなく、自由を愛する特別な「カルメン」である。この小柄な女性、エネルギッシュで、エレガントなうえ、舞踊団を、そして東京のアカデミー(アジアの中でスペイン舞踊の真のるつぼと化している)をも主宰する力まで残っている。彼女は、70歳を過ぎているが、全てをこなす。マドリッドも世界も、若い庸子が東京でピラ-ル・ロペスの公演を観て、スペインの首都(マドリッド)に勉強にやってきた頃とはだいぶ変わった。「私は日本の伝統芸能の家に生まれました。父は歌舞伎の伴奏をやっていて、そこで私は三味線を教わったのです」。

「舞踊の火花は“白鳥の湖”を見た時に散りました。“自分は踊りたいのだ!”と知り、父に懇願しました。バレエを習い始め、日本舞踊以上にのめり込みました。そしてピラ-ル・ロペスの公演を観ました。そのスペイン舞踊には全てが含まれていました。ドラマ、舞踊、リズム、情熱。日本ではフラメンコを習う事は出来なかったので、単身マドリッドに渡りました。スペイン語の単語は一言も知らずに。10か月間、舞踊のクラスを受けながら、スペイン語も勉強しました」。

ある日、ラファエル・デ・コルドバを見て、当時の誰もがそうだったように、小松原も魅了された。急遽、昔のアモール・デ・ディオス通りにあったアカデミアへ行き、オーディションを受け、大方の予想に反して、1967年、舞踊団への入団が認められた。

スペインでの冒険は小松原をセビージャまで、恩師エンリケ・エル・コホまで導いた。「彼の忘れがたい印象は、耳が遠くて、小太り、片足が不自由。でも彼の踊りは、人に鳥肌をたたせるくらい、超自然的な魅力の持ち主。エンリケ先生は『明日いらっしゃい』と言ってくれました。当時はお金が無く(海外へ持ち出す現金の限度がありましたので)手持ちのお金をギタリストに投資しました。私は彼からリズム、曲種、スタイルを習いました。またエンリケ先生にタブラオ「ロス・ガジョス」に連れて行かれ、そこは大事な勉強の場となりました」。 小松原は自身のマエストロとして、アルバノ、マティルデ・コラル、ビクトリア・エウヘニア、ペドロ・アソリン、パコ・フェルナンデスの名を挙げている。1969年には初リサイタルを開いた。批評家、アンヘル・アルバレス・カバジェロ氏はある時、小松原のカルメンを観に行き、褒めちぎったことがある。またプーロ・フラメンコのアーティストからも尊敬されている。

小松原はフラメンコに魅了された理由を話してくれた。「私たちの文化は感情を露わにする事を、良しとしないのです。日本では控えめでなくてはいけなかったのです。人前で好きな人に抱きついたり、キスをしたりする事は出来ません。しかし、フラメンコは全ての感情を外に出せます」。

今回はカルメンの役を小松原の弟子、井上圭子、谷淑江そして田村陽子が演じる。小松原の東京のアカデミーは多くのスペイン人に仕事を提供してきた。仕事を必要としていた、たくさんのスペイン人に。

小松原の舞踊団はイスラエルからマドリッドに到着した。「プロセスは常に一緒です。アカデミーの生徒さんは上達し、才能のある人は舞踊団に入団します。女性の方が多いですね。日本人男性は踊りをスタートするのが遅いのです」と彼女は言う。小松原の公演でいつもスペイン人の男性舞踊手が出演する理由はそこにある。2006年にはイスラエル・ガルバンを招聘し、さらにその前は「カルメン」のホセ役にホアキン・コルテスやアントニオ・カナレスを招いた。「まだ有名になる前に彼らは日本で私の舞台に出てくれました。当時スペイン国立バレエ団の第一舞踊手だったアントニオ・アロンソもホセ役をやりましたね」。

小松原庸子スペイン舞踊団の舞台「カルメン」は、テアトロ・デ・マドリッド劇場にて、11月15日(日)まで上演。