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プロフィール

 マリベル・ガジャルド Maribel Gallardo

カディス生まれ。6歳から舞踊の勉強を始めると同時にヴィクトリア・エウヘニアの下でその技術を磨くと共にマリア・マグダレナ、シロ、ペドロ・アソリンのような著名なマエストロに師事する。

1975年14歳の時には既にピラル・ロペス率いる国立民俗舞踊団に入団。又、マリア・ロサやラファエル・デ・コルドバ、ルイシジョの舞踊団よりソリストとしての出演依頼を受け、好評を博す。

1981年にアントニオ指導の下のスペイン国立バレエ団に入団、1985年には第一舞踊手となって以来、メデア、リッツモ、ソンブレロ・デ・トレス・ピコス、ダンサ・イ・トロニオ、ボレロ等の他すべての作品の主役を演じている。

マリベル・ガジャルド

特に“メデア”における彼女の演技はバレエ団の重要なレパートリーとなっている。

現在ではスペイン国立バレエ団のスターダンサーとして、又教師として若手舞踊手の育成、各地で実施されるフェスティバルの特別ゲストとして出演。

舞踊・振付コンクールでは審査員を務める。又小松原舞踊団員の指導にも力を注いでいる。


 ダヴィ・ペニャ・ドランテ David Pena Dorantes

ダヴィ・ペニャ・ドランテ

ドランテとしての活躍は、スイスのルセナ(Lucerna)で行われたヒターノフェスティバルで始まる。

そこでフランスのフェスティバルにおいて「ベンタナレス」を初演。この作品が彼を世に知らしめ、リット・ヴィテール、チック・コレア、ウィム・マータンス、ペドロ・アウレス・マガラエスなどの注目を集めた。

1996年9月19日にセビージャのビエナルにおいても「ベンタナレス」は聴衆と評論家達から大絶賛を受ける。

同年5月5日ドランテはアルバム「オロブロイ」(ジプシー言葉で思考)」を発表、大ヒット。このアルバムは6ヶ月に渡る様々な国での公演の成果である。

ドランテの音楽はフラメンコファンだけを対象としているものではない。彼らはブレリアやタンギージョ、アレグリアス、シギリージャやソレア等の曲を楽しむが、それらのナンバーの枠だけにとらわれない他の芸術分野も享受するのだ。


 ハヴィエル・バロン Javier Baron

セヴィージャ生まれ。7歳より踊りを始める。
10歳でマタドール(闘牛士)の叔父マノロ・リコの家に移る。

このことがきっかけで舞踊家としての彼が確立し、ルイシージョ舞踊団に入団しルイシージョと教皇パブロ6世の御前での共演を果たすまでに至る。

14歳で彼はコルドバの第8回国立コンクールで特別賞を受賞。後にテレビのコンクール「ヘンテ・ホベン」で優勝。アントニオ・ガデス、グラン・アントニオ率いるスペイン国立舞踊団に出演。

1988年セビージャの第5回ビエナルでわずか25歳にして舞踊部門ヒラルダ賞を獲得する。

ハヴィエル・バロン

それ以来マヌエル・モラオの“アイレ・イ・コンパス”(1993)に参加、1993年サラ・バラスとの「ミラ・ケ・フラメンコ」を演出。

1995年アンダルシア舞踊センターのフラメンコ・クリエーション・スタジオのディレクターに任命され、1996年第9回ビエナル「こっちへ、君が見たいから」、1997年には彼自身の舞踊団の演出を行い、「黒い鳥」を初演。
1998年第10回ビエナル「ソロ・ポル・アルテ」を初演。

1999年アンダルシア州立舞踊団のために「精神異常の兆し」を振付け、グラナダのフェスティバルでアントニオに捧げる「フラメンコエレジー」に出演。好評を博す。
2002年第12回ビエナルにおいて彼の作品“DIME”が大成功を収め、最優秀舞台に選ばれる。現在スペインはもとよりヨーロッパ、アメリカで最も人気のあるフラメンコ・アーティストとして活躍中。


 クリージョ・デ・ボルムホス Currillo de Bormujos

クリージョ・デ・ボルムホス

7歳よりマティルデ・コラル、ラファエル・エル・ネグロに師事し、その後エル・ファルーコ、マノロ・マリン等の教えを受ける。

豊かな感受性とすぐれたテクニックで1975年のコンクールにおいて最年少の入賞者となる。その後セビージャ少年舞踊団で活躍し、十年に一人の天才少年と騒がれる。

1981年小松原庸子スペイン舞踊団の招きにより初来日。日本各地の公演等で、多くのファンを獲得。

特に文化庁芸術大賞作品「ゴヤ―光と影―」における彼の演技力は絶賛を博した。

帰国後スペイン国立舞踊団の舞踊手、振付家として数々の作品を手掛け、活躍していたが独立し、純粋なフラメンコの継承者として現代に生きる彼の鋭い感性を充分に発揮する舞踊団の設立に力を注いでいる。

2000年からは再び毎年小松原庸子スペイン舞踊団の日本及びアジア、北南米公演に参加、スペインにおいてはアントニオ・マルケス舞踊団の振付、ゲスト・アーティストとして世界ツアーに特別出演し各地で好評を博している。

彼の持つ迫力とリズム感は、常にフラメンコの真髄に迫り各方面から喝采を集めている。


 ホアン・オガジャ Juan Ogalla

幼少の頃よりフラメンコの盛んなカディスの恵まれた環境、優れた歌い手、ギタリストに囲まれて育ち、舞踊を志す。

セビージャ・コンセルバトリオでフラメンコの基礎を学ぶ。マノロ・マリン、コンチャ・バラス等に師事し、型に拘らない彼独自の自由な発想で早くもその才能を発揮。

1982年、カルメン・ヒラルデス作品で抜擢され、グラン・テアトロ・デ・ファリャでデビューを果たす。その後著名なアーティストと共に数多くのステージに立つ。

1988年、フラメンコを紹介するグループ設立にソリストとして参加し、ドイツ、スイス他のヨーロッパ各地で公演。評価を得る。

ホアン・オガジャ

翌年パリ・エドゥアルドVII劇場において「フラメンコその生きる形」を上演。又ニューヨークにおいては三ヶ月間に及ぶステージ「ジプシー・パッション」の上演で喝采を浴びる。又、フラメンコのみならず、テレビ、映画等各方面での振付指導にも当たり、その才能を認められる。

1992年、バルセロナ・オリンピックにおいては、クリスティナ・オヨスと共に開会式に参加。
1993年、クリスティナ・オヨス舞踊団の第一舞踊手として世界各国のツアーに参加。
スターへの道を着々と歩んでいる今スペインで最も注目を浴びている若き才能溢れる男性舞踊手。
2001年には小松原舞踊団全国公演「カルメン」のドン・ホセを演じ多くの観客を魅了した。



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